私が学んだ数秘のキーワードに博愛…というのがちょいちょい出てくるのです。
はくあい…?
しかも、数秘2も4も7も22も博愛主義って書いてあったりして…。
2と4と22は近いけど…
7が博愛?!
(初期の7のイメージ)
はくあいってなんだ!
日本語だけど、イメージ湧かない!
(もっとかんたんな言葉でプリーズ!!)
というわけで、現時点での数秘別【博愛】のイメージを描いてみようと思います。
目次
まずそもそも、【博愛】とは
すべての人を平等に愛すること。「博愛の精神」
…まず【すべてのひと】という範囲が数秘ごとに違いそうですね。
数秘2*ふたば
*
数秘2にとって、「すべてのひと」は目の前の人。
(よっぽど嫌いな人でない限り)どんな意見でも、聞いてあげようとします。
数秘2にとっての平等は、
白も黒も、意見AもBも、聞いてあげたりなどの、
そのものへのかけるエネルギーは平等、といったところでしょうか。
数秘4*シロー
数秘4はもう少し視界が広がって、目の前の家族とか、職場の中が「すべてのひと」。
平等の基準は【(本人が経験、学んできた)倫理観やルール】ではないかと。
法の上においてはみな平等である、みたいな。
数秘7*セブン
数秘7における「すべてのひと」は数秘4よりももう少し広そう。
家族の中や職場も、さらに移動中やテレビの中など、目に映る人達も。
(データがまだ少ないので、7の人にどのくらいの人を見ているか聞いてみたい…)
7は奇数なので、「相手の為に」という動機では動きにくいです。
数秘7における平等は、【自分の興味や本質の上に立つもの】といった感じでしょうか。
自分の興味や、本質の追及の対象として、目に映る人達の事を冷静に観察しているようです。
数秘22*にじか(二十花)/にき(二紀)
私が博愛のイメージに一番近かったのは数秘22です。
(意図せず)世界中、地球の裏側までもが数秘22における「すべてのひと」。
「肌の色や宗教が違っても、赤ちゃんの泣き声はみんな同じ」
「みんな地球に住んでいる家族なんだ」
「エコ」「MOTTAINAI」というフレーズを聞くと
数秘22っぽいな~と感じます。
*
こんな視点を持つ彼(女)らなので、
この数秘たちを持つ人に
特別扱いしてほしい!
自分だけ見てほしい!
特別な評価やリアクションがほしい!
って思ってしまうときは、ちょっと寂しい思いをすることがあるかもしれませんね。
そんなときは自分の数秘に解決するヒントがあるかもしれませんね!
自分はこのサイトさんで数秘診断を改めてして、LPが7だとわかりました。他も全部奇数というド奇数人間なので多分相手のために…は苦手なタイプか、ひっくり返って得意なタイプか…とか一人で考えていたところです。結構考え込むので7っぽいな…って思います。割と友人にバッサリものを言うからそうやって言わないと逆に心配されます。し、皮肉っぽい言い方してしまった…とこれまでに落ち込んだこともありましたね…。暴走すると自分はそうなりやすいです。Dが3だからかな…(セルフ謎解き?)
さて。
自分は自分を博愛だとか冗談でも思いませんが、(博愛は博愛で素晴らしいんだけど自分が博愛だと思えないため。数秘に関係なく博愛を持つ人持たない人それぞれそれでいいと思うけどね〜と思っています。)、確かに興味や関心の上で博愛チックにはなるかも、と思います。世界平和とか割と考えます。でも結局はパッションより数字の話とかになりやすいな…と思います(人口の推移とか温暖化の指数とか…)。パッションも大事だしはじめはそこからスタートしても実現化にはそれだけじゃアプローチ出来ねえよな〜と途中で気付いて1人モードに入りますね…。
自分は人の笑顔が好きというタイプなので、そのためにまず人を知らねばならぬという意識から多くの人を気にしますが、よくよくその範囲を考えると「身近なところで、でも身近すぎない」なと思いました。駅でたまたま一緒になった知らない人のバックグラウンドを想像したりしますが、深入りはしすぎないようにします。逆に身近な人は観察するに留めて深くまで探りを入れずに考えない。とか、自分のキャパシティに合わせて範囲を変えている気がします。逆に身近な人に割くとき(※割かなきゃいけないとき)は遠くの人に割けなくなります。
自分は1とか3が多く混ざっているのでその点もあるかな…。人と和やかに関わりたくても何故かメチャクチャ浮くので、気を遣わないでいっそ一人でいる!って決めるとめっちゃ気楽になる…というところはありますね。
自分は、ですから他の7さんは違うかもしれませんが…!
22です。
博愛と言われますが・・・。
子供の時は踏む道路や遊ぶ石にも魂があって、それらはみんな自分の目的(歩かれたいとか、遊ばれたいとか逆にそっとしておいてほしいなど)を満たしてくれる存在を求めているのだから、自分には申し訳ないけれど受け取る能力がないけれど、わからないなりにもきちんと平等に対応することこそが、子供の使命だと思っていました。大人はゆっくりとそういったことをする時間がないので。
そういう意味で行けば、博愛度は年々下がっていて、生きていきやすくはなりましたが、書かれているように世界のどこかで起こったこともとても気になりハタから見るとニュースに心を痛めすぎているようで「親戚でもいるの?」と心配されたりします。
道路にも心を砕くタイプなので、地球温暖化で希少生物が絶滅の危機に瀕していることにも平静でおられません。まぁそういうことにもずいぶん図太くなりましたが(笑)